作られた時代はおよそ90年前で、株式会社 白井組創業の頃。
岡山に世界的建築家フランク・ロイド・ライトの愛弟子として知られる、
遠藤新のテーブルがあるという。
その歴史と時代風景の一端を見るべく、出かけてみた。

03 時代を超えて存在する唯一無二のテーブル

山陽学園山陽女子中学・高等学校(岡山県岡山市中区)
取材協力・資料提供/学校法人 山陽学園 山陽女子中学校・高等学校

大事に使われて来たことが、状態の良さからもわかる、建築家・遠藤新(えんどう あらた)のテーブル。邸宅の応接室用として設計されたものだけに重厚で存在感がある。同じデザインの小テーブルも一緒に発見された。遠藤新は1889年、福島県宇多郡福田村(現・相馬郡)に生まれる。第二高等学校、東京帝国大学建築学科卒。東京駅建築の批判を読売新聞へ投稿発表で物議をかもす。帝国ホテルの設計を行うライトの設計事務所に勤務。後に帰国したライトに変わり遠藤が指揮を執り完成させた。自由学園、山邑太左衛門別邸などライトの基本設計を元に完成させた。1951年死去

岡山で発見された、建築家・遠藤新のテーブル

「これが遠藤 新のテーブルですよ!」
 「えっ? 何処に。」
 出会いはあっけなかった。応対の先生がテーブルを指差しても、何処にあるのか気づくことが出来なかったほど、その場に馴染んでいる。感動的な出会いを期待していたこともあって幾分、拍子抜けの感。
 路面電車が走る表通りの喧噪から離れた校庭の一角、木々に囲まれた教会風の建物がそびえ建つ上代淑 記念館で、その歴史あるテーブルと対面した。足元に目を向ければ当時、異端とも呼ばれた幾何学的なデザイン。いわゆる「フランク・ロイド・ライト式」意匠の「有機的建築」造作も見て取れる。そのテーブルは大小二つ置かれていて、大きいものは一辺140センチほど。小さいものは70センチほどで共に状態は良く美しい。垂直や平行の狂い、大きな欠損がないのはもちろん、色落ちも少なく経年程度の傷み具合で大事に使われて来たことが、一目で分かった。
「5年ほど前(2014年取材当時)だったでしょうか。備品として使っていた古いテーブルについて報告を受けた所からです。」岡山市の中心部からやや東、門田屋敷にある山陽女子中学校・高等学校にある「卓(テーブル)」を訪ねた。それらは倉庫に眠っていた訳ではなく、長らく使われていた学校の備品。それが数年前、ちょっとしたきっかけから調査が始まり、歴史的なものであることがわかったのだ。
 前置きが長くすみません。そのテーブルとは前身の山陽高等女学校、校長の上代淑(かじろ よし・1871-1959年)邸に置かれていたもので、設計者にわざわざ見に出かける理由がある。作者は建築家、遠藤新で(えんどうあらた・1889-1951年)は世界三大建築家の一人とされるアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright・1867年-1959年)の愛弟子。もしくは帝国ホテル旧館建設を指揮した人物と言った方が有名かもしれない。普段からこの卓を目にする先生から、脚の造形に起因するただ者ではない「何か」を感じ、学校は調査を行うことにしたそうだ。それがきっかけとなって、研究者の大学教授とともに調査を行い、遠藤氏設計の作品と判定された。そのような生い立ちのテーブルが、ごく身近にある。そんな情報と期待を胸に、ひととき時代を超えた家具を知る旅に出かけたのだ。

上代邸と同時期(竣工は大正14年)に増築された校舎にて。(写真は昭和10年頃撮影)木造ゆえ、ライト設計の帝国ホテルや山邑邸のような重厚な石造りの外観ではない。ただし、窓配置や立体的な造作に、縁の深い遠藤ならではの昇華した「ライト式」を見ることが出来るという

大正13年2月9日の建築落成披露の記事。外観と一部室内の写真が掲載されている。資料が少ないだけに貴重だ
(「みさを」大正13年(1924年)3月掲載より 資料提供=山陽女子中学校・高等学校)

門扉がひとつだけ残っている
記念館横に屋根が。上代校長が晩年過ごした住居は現在も残る

時代を超える特徴的な造形が発見のきっかけ

 作られた時代は、大正時代後期。前述通り、日本を代表する建築家の一人、遠藤新(えんどう あらた)は帰国したライトに変わって建設の指揮をとり、帝国ホテル(大正12年落成)を完成へと導いた。同じく帝国ホテルを手がけていた建築家の南信(みなみ まこと)と同時期、芦屋の灘の酒造家・山邑別邸建設に携わるなか、山邑家の娘婿で岡山出身の政治家 星島二郎(ほしじま にろう)氏との深い親交から、ほぼ同時期の大正13年(1924年)、星島氏子供の家、山陽高等女学校の増築工事と上代校長邸の建築を行うことになった。その邸宅と一緒に作られた家具のひとつが正真正銘、このテーブルなのだ。
 遠藤氏のアイデンティティ、建築宣言の中には「…部分が相済す美しさ、それが又全体に参ずる美しさ、そして更に全体が部分に及ぶ美しさ…」(婦人之友・大正13年5月号)という一節がある。強引な引用で恐縮だが、環境や住む人について建築家が理解するのはもとより、家具、調度品に至るまで建築物と一体と考えることは、ライトの元で学んだ遠藤なら、ごく自然のこととも言えるのではないだろうか。
 そんな由緒正しいテーブルの発見に、その特徴的なデザインや装飾は紛れもなく寄与している。発見した先生から「脚の造形とか装飾とか、ただものじゃない」と報告を受け、遠藤氏を長年研究されている研究家の文化女子大学・井上教授(当時)に調査を依頼。結果、このふたつのテーブルは遠藤氏の設計であることがわかった。氏が同時期に携わった芦屋の山邑太左衛門別邸(国重要文化財・現ヨドコウ迎賓館・フランク・ロイド・ライト作とされる)にある卓と同様のデザインであることからで、その後の調査で邸宅の規模に合わせたため、山邑邸よりやや簡素化された造作というディテールまで明らかになっている。特徴的な意匠は時代を超えて、見るものを惹きつける魅力があるのだ。

テーブル現役の頃。「上代邸」と当時の情景

「上代邸は、現在の学校から通りを挟んだ向こう側にあったんです。 」
 少しフィールドを広げ、当時の状況を振り返ってみたい。上代邸は現在の山陽女子中学校・高等学校の敷地から通りを挟んで100メートルほど離れた、星島(ほしじま)邸の敷地内にあった。落成は大正13年(1924年)2月9日。山陽高等女学校の増築工事は、そのおよそ一年後の大正14年(1925年)3月10日に竣工。私邸かつ、在校生や卒業生との交流サロンとしての役割も持っていたそうで、テーブルはその応接間の家具だった。調査後の平成24年(2012年)3月、それが遠藤氏作と確認された際、同様に作られたはずの椅子や調度品は、学園内へ転居の際には持ち込まれておらず、残念ながら今も確認されていない。現状はその一部を写真で見ることが出来るのみということだった。
 詳細は割愛するが当時の星島邸は自邸ではなく、寄宿舎「子供の家」としての役割を担っていた。後にその役目が終わり、実兄の星島義兵衛氏(義兵衛氏は戦後、山陽学園の理事長を務めた)が新事業を興す際、全面的な改築が行われることになった。その理由から上代邸も移動を余儀なくされ、通りを一本隔てた西寄りの土地まで数十メートルをそのまま“引かれ”移設された。大きな屋敷が引っ張られ、わずか半日で移動するという「珍事」は、ご近所で少なからず騒ぎにもなったそうだ。
 興味深いエピソードがたくさんある「上代邸」のその後は寂しい。昭和33年まで使用されたが翌年の校長死去に伴って空き家になる。やがて時間は過ぎ、昭和61年(1986年)に土地の所有権を持つ、星島家の意向で解体されてしまった。余談になるが他方、所縁のあった芦屋・山邑邸はマンション建設による取り毀しが計画されたがライトの遺産という事実もあって保存活動が行われ、こちらは解体を免れている。名にし負う作品とはいえ、古い住居は湿気が相当酷かったらしく晩年、自身の体調のこともあり上代校長は邸宅で暮らすことなく、「件」のテーブルとともに学内の住居に引っ越している。ちなみに現在、住宅のあった場所は駐車場に変わり、レンガ壁と門柱の一部、基礎部分が残るのみ。
 そのなかで時代を超えて良好な状態のテーブルが現存していることは、本当に驚くべきことだと思う。発見前はごく普通に「展示台」として使われていて、わずかにペンキも付着していることから、生徒が文化祭のポスター製作の際に作業机として使用していたのかもしれない。皆の「備品」として人知れず使われて来たテーブルはこの学園そのものの歴史を刻む、貴重な遺産だとも思う。

昔の写真が展示されている卓上
発見前も今と変わらず展示台として存在していた
(写真提供=山陽女子中学校・高等学校)

誕生祝いの百合の花に囲まれた上代淑初代校長とテーブル(写真提供=山陽女子中学校・高等学校)

時代を超えて、未来へつながる歴史

「夢があるんですよ。いつか上代邸を復元したいんです。」
 およそ90年前の時代に触れた旅の終わり、将来への夢も聞かせてくださった。実測された設計図も存在し、ここにしかない歴史を語る上でも重要な遺産でもあった邸宅の復元は、今は「夢」のようであっても、絵空事ではないのかもしれない。涼しい風が渡る校舎で、情熱を感じた夏のひととき。将来、意志や運命に導かれ、このテーブルの歴史がまた動き出すことを楽しみにしていたいと思う。
 何気ない見慣れた光景をもう少しみつめ続けると、素敵な発見に繋がることがある。そんな考え方の「ひと手間」も教わったご近所への歴史の旅。なかなか見ることのできない貴重な「宝物」を見せてくださった、山陽学園の学校関係者の皆様に御礼申し上げます。(了)

[ 取材協力・写真・資料提供 ]
学校法人 山陽学園
山陽女子中学校・高等学校

〒703-8275
岡山県岡山市中区門田屋敷2-2-16
Tel.086-272-1181
http://www.sanyojoshi.ed.jp
[ 参考文献・資料(敬称略) ]
フランク・ロイド・ライトとはだれか(谷川正己・王国社2001年刊)
みさを(山陽高等女学校・1924年発行)

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