美しく手入れされた1,500坪の日本庭園が「石亭」の由縁。多くの人が憧れる宿を訪ねた

04 大人を無邪気にする「進化する宿」を築く人

庭園の宿 石亭亭主 上野純一さん(広島県廿日市市)
取材協力・資料提供/庭園の宿 石亭

美しく手入れされた1,500坪の日本庭園が「石亭」の由縁。多くの人が憧れる宿を訪ねた

ふたつの遺言を守る

 風光明媚。厳島神社のある宮島を望む宮浜温泉にある「庭園の宿 石亭」を訪ねると、ご主人の上野さんは広い庭をひとり、黙々と手入れされていた。ここには先代から受け継がれる、ふたつの遺言があるという。
 ひとつは「庭を大切にする」母屋2階にあるサロンの大きな窓からは瀬戸内を借景に、美しい日本庭園と、その両サイドにある離れの建物が視界に入る。その石亭を象徴する「庭」はどの部屋からもすぐアクセスできるから楽しい。少し散策して出会ったのは不思議な空間で、鍾乳洞の窮屈部屋で見た木製タイプライター、池の鯉と宮島の遠景を眼前に、名にし負う北欧の名作椅子で本を読み耽ったり、お気に入りの音楽とお酒を楽しむことができるテラス。小煩い親父が叩きを持って飛び出てきそうな古書店みたいな畳敷きの部屋など…ギミックだらけの石亭ワールドの散歩は大の大人が心ときめいて、ワクワクしてしまう楽しさだ。
 ふたつ目は「兄弟仲よく」まず、上野さんが「不思議な部屋づくりの匠」に化したきっかけは、「弟(近藤安正さん)の存在が大きい」という。建築を志した安正さんの情熱が純一さんに伝わり、建築書を読み耽るまでになる。中でも心地よい空間づくりに惹かれ座学に止まらず東奔西走、良いと言われるモノを訪ね歩いたそうだ。やがて有馬の温泉旅館で体感した「おもてなし」には心動かされ、現在の石亭を包む世界観を形成する礎にもなった。だから純和風の落ち着いた佇まいだけれど、和洋折衷の造作や調度品など、随所に散りばめられたディテールを眺めれば、その楽しさに思わず目を奪われるはず。宿の運営は兄弟いつでも二人三脚。「庭を大切に、兄弟仲良く」恐縮ながら、そのふたつの遺言の先にあるものが、凛として、心地良い現在の旅館の姿なのだと思うのです。今回は独自の世界観で多くの旅人を魅了する「旅館」を見学する旅。そのアイデアを生み出す二代目ご主人の上野純一さんに宿づくりとおもてなしについて、お話を聞かせていただきました。

客室「游僊」からの薄暮の庭園の景色。宮島の西端を見て、手前の鯉の泳ぐ池を眺める至福の時間

写真左/上野氏に様々な宿づくりのお話を聞きました。書籍と椅子に囲まれる幸せ。床下ライブラリーにて
写真右/客室での一コマ。ガラス張りの開放的な空間、ここはお風呂なんです

気づきを学んだ、試行錯誤の時代

 上野さんがアイデアマンになる源は宿の主人となった昭和50年頃。「当時は団体旅行や宴会中心で顧客の確保にひとり奔走する毎日でした」当時はオイルショック、嗜好や生活様式の変化と旅館を取り巻く情勢が急速に変化して問題だらけだったという。そこで弟さんが加わり、少し風向きが変わった。二人で知恵を絞って「ただ売り込むだけでなく、宿の運営そのものを直すべきでは」という結論に至る。関西へ案内所を設置し、都市部からの送客を促しつつ、親交のあった旅行代理店やメディア、評論家、一般の旅行客に泊まってもらう機会を設けたそうだ。案の定、率直な意見が返ってきた。個人客への対応がされていないために部屋の調度品や食事への注文、サービス、果てはお箸ひとつまで厳しい意見もあったが、ありがたい助言でもあった。「些細なことから大きなことまで、そこで気づいたことが良い転換点になりました。憧れが幻滅に変わらないサービスを提供する宿になる。良い店の噂を聞いてはあちこち出かけて見ました。お手本を見つけてはどんどん取り入れていったんです」やがて、その細やかなサービスが認められて評判に。今に繋がっているのです。

そこに居る楽しさを教えてくれる「石亭」の空間づくり

◎凡々洞(ぼんぼんどう)ひと一人がようやく通れるドアのなかは、ほの暗い鍾乳洞のような空間。
ところどころに岩があって、狭いのに、さらに狭さを強調している。
実は、お落ち着く場所として人気がある。
籠って寛いだり、ぼーっとできるニッチな空間。掛け値なく楽しいですよ。
◎2階から宮島をのぞむ山の中腹にあるだけに、瀬戸内を遠望できる。
庭と一緒に眺めるのが醍醐味だ。
朝日や月を眺めるのは楽しい。
逆に下から経小屋山を見るのもいい。
◎全室内風呂付き客室デッキテラスと室内の境界の曖昧さが特長。
開け放てば、木の香りが心地よい内風呂で
緑や風と戯れることが出来る。
◎吸吐文庫(すーぱーぶんこ)文芸、文学、芸術、音楽、写真、建築、生活など
本がずらりとならぶ古書店のような空間。
秋の夜長に居座って楽しみたい。
上野さんの読んでいた本もある。
◎離れ客室・游僊(ゆうせん)二階建てに改装された離れ部屋。縁側テラスからは
庭へ簡単に出ることができる。
檜風呂とデッキテラスで朝も昼も夜も開放感を満喫。
一階には佳景を眺める書斎がある。
◎床下のライブラリーテラスエントランスから続くサロンの階下にある床下空間を利用したテラス。
北欧や欧米の椅子が居並び、庭を向いて鎮座している。
本を読むもよし、ワインを持ち込むもよし、池の鯉を眺めながらリラックスできる一等地。
ここに来るために、日本にやってきた海外の御仁もいる。

宮島口駅前、あなごめし「うえの」の隣にある、曾祖父の名を冠した店「他人吉」
現代の「石亭デザイン」のオリジンはここにあるように思う

再構築は、伝統へのオマージュ

 美しい日本庭園に快適な客室、丁寧に設えられた調度品に洗練された小物、美味しい料理に安堵するサービス。それらを“遊び心”でくるみ、「個性」は一つのブランドへと昇華した。ただし、そこに留まらず、現在も色々な取り組みが行われていると聞きました。面白いのが亭主自ら年一回行う、客室の「破壊」。もちろん進化し続けるためで、その理由は別の場所を尋ねるとわかる。
 ちなみに上野さんは、明治34年創業の老舗、宮島口「あなごめしうえの」の四代目主人でもある。
「隣の曾祖父の家は懐かしい遊び場で、木の建具に懐かしいガラスで構成されていました」他方、アルミサッシにビニールクロス仕上げという建材に囲まれた竣工時の「石亭」とは趣を異にする建物。レトロ感溢れる旅心をくすぐる小物に心ときめいたり、秘密基地にしたいような空間を見つけて心踊らされてしまう、まさに現在の「石庭」と同じ作り。「頭の中で平面図を書き起こせるほど深く記憶に刻まれた場所なんです」玄関にはハットとステッキが据えられいて凛とした趣、持ち物の主人、曾祖父への敬意も込められていて、はっきり聞いたわけではないが、ここが原風景だと感じたわけです。
 新しい部屋の施工後には、必ずオーナーチェックがある。「一晩滞在して、部屋の具合はもちろん、滞在中にあったらいいなと思うものも含めて居住性を確かめています」ずっと過ごしたいと思う、様々な設備やチェア、テーブル、本、ドリンクを吟味する計画。考えた本人がワクワクする部屋づくりだからこそ、その思いがお客様にも伝わるのではないかとも思う。家族を大切にし、出会った旅人さえも大切にする幸せなお節介のな血の通ったおもてなし。「石亭」の進化は続いても、ふたつの遺言は多分永遠に変わらないのだと思います。
 そこで完成した全客室の「総書斎化」の計画。建物の角や狭小空間など、部屋ごとにあるデッドスペースは逆転の発想で“こじんまり”した「書斎」として蘇りつつある。例えば、座椅子にもたれて庭を眺めたり、エスプレッソ片手に本を読んだり…。「お気に入りの場所になった」とか「小さな住宅のお手本にしてみたい」とか、庭に点在する東屋「小さな部屋」のアイデアを客室にも取り入れ、宿泊客の評判も上々だそうだ。もう一つ、かつてお手本にしたように今度は「石亭」がお手本になるニュースを聞いた。来春、「石亭」の食事が、下関発、大阪行きの寝台列車、トワイライトエクスプレス 瑞風(みずかぜ)の昼食として供されることになった。瀬戸内を借景する車窓を眺めて味わう食事は、掛け値なしの思い出になるはず。いつかの休日、自分好みの居場所を見つけに、訪ねて見ることを是非お勧めしたい。

探究心で見つけた眠れる歴史

 旅のおわり、宿の名にも冠される石の庭は美しいけれど、近くの供養塔で悲しい歴史があることを知った。昭和20年の枕崎台風で発生した山津波は、この宮浜地区にも多大な犠牲者と甚大な被害をもたらしたそうだ。存在していたはずの旧陸軍病院は倒壊して海まで滑り落ち、山から流れ出た岩が転がってあちらこちらに大穴が開いた手の付けられない荒れた土地に変わってしまった。それから20年後、温泉が湧いたことで手が入ったこの宮浜地区。近くの竹林付近から表層水が涌き、陥没した大穴にその水を引いたことから錦鯉の泳ぐ池が完成した。やがて荒れた岩だらけの斜面は整地され、岩を配置し樹木や芝を植えて生まれ変わった、この「庭」。悲しい出来事から立ち上がり、生まれ変わるための厳しく、逞しい努力がそこにあったのではないかと想像するのです。そうか、「庭を大切に」という初代亭主の言葉は、その場所に対する敬意と愛情のあらわれなのかも知れないと、ふと、そんなことに気づいて考えた。(了)

[ 取材協力・写真・資料提供 ]
庭園の宿 石亭
〒739-0454 広島県廿日市市宮浜温泉3-5-27
Tel.0829-55-0601
http://www.sekitei.to/

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